2011の震災の直後も頻繁に山に登っていました。
今回の写真は、尾瀬の入り口、鳩待峠からアヤメ平へ登った時の写真です。
これもとても思い出深い山行でした。
高山植物が一番美しい時期を狙って行ったのです。
高層湿原のアヤメ平は美しい池塘と、たくさんの高山植物の宝庫です。
高山植物を観察するのに、時期が1週間ずれると最盛期を逃してしまいます。
まさにピッタリの時に登ることができました。
そして、何より記憶に残っているのは、アヤメ平から望む残雪の平ヶ岳の勇姿です(上の写真)。
ブログではその当時、原発事故に対してこんな考えを持っていたのですね。
かわいいというか、無邪気というか。
私の中に、政治を変えることで世の中を変えたいというエネルギーがガンガンあった頃です。
では、旧ブログ2011年6月21日の私の記事から引用。
福島第一原発
福島のことは、一日も考えない日はありません。今、福島第一原発から何キロ離れているかとか関係はないと思います。
なぜなら、今回の事故は全人類や地球で生きている全ての生命体に関わることだからです。
それでも私が心がけている事は、心配、不安に傾かないように自分を観察する事です。「心配」というエネルギーは何の意味も無いからです。でもいったんは心配に行きますよね。そこでさらに傾かず、「心配」の対局にあるエネルギー「信頼」に意識を向ける事は大切ですね。
自分のお仕事の他にも、私が原子力について思う事を自分のブログで少しずつは盛り込んでいこうとは思います。
6月11日のブログでも書きましたが、私は理由はわからないけど、小学生の頃から原子力という言葉に強い違和感を感じ家族の中でひとりでさわいでいた事を記憶しています。原子力は、人類が手を出す領域ではないと考えています。なぜなら人の手に負える物ではないからです。現在、手に負えない状況になっています。そして、あまりにも生命体との相性が悪いからです。
今回の事故であらためて明らかになった事は、日本で原子力というものがシステムとしていつの間にか深く深く根付いていた、ということです。いつの間にか、、私達のよくわからないところで、、、です。このことに付いてだけ言えば一般国民が勉強不足だったなんて反省しなくても良いと思います。意図的に静かに進んでいたのでしょうから。
私達が反省すべき点があるならば、便利さの飽くなき追求でしょう。
ありあまる程大量の物を作り売れ残ったら捨てるという事をやめ、必要な物を必要な数だけ作って売り切れたら終わり、私が子供の頃のように夕方になるとお店は終わり仕事も終わり、となればたったこれだけで原子力への依存は無くなるのではないでしょうか。こんな単純な事ですが、一般市民の私でさえ直感的にわかります。
もう一点、私達は食べるもの、着るもの、仕事、住む場所、車、どこに旅行するかだって基本的には自分で選ぶ事が出来ます。でも電気は選べません。私が自分で使う電気は、原子力で起こしたのはいやだ言っても選べないのです。
このシステムである限り、私達はいつまでも与えられる立場、受け身の立場、意見はあるが最後はなんとなくあきらめの境地にさせられていく、という流れでしょう。
今、再生可能エネルギーについて管さんがようやく言い出していますが、あまりにも政治っぽくなるとテンション下がりますね、、
もっとストレートに地球とそして子供達、全ての生命体に意識を向ければもともと答えは一つだと思いますし、もっと熱くなるし、、、何かへらへらしてるんですよ。
ちなみに私の周りには、原子力がいいという人は一人もいない様です。
原子力の無い地球を望みます。このブログを読まれた方が一人でもそのように思っていただけたら、とも思っています。
アヤメ平は高度成長期の自然破壊の象徴でした。尾瀬は、東京電力が保全に大きく関わりました。もちろん地元の方々も。