たくさん思考していると、幸せ感が遠ざかっていく・・・「思考」に大人しくなってもらうために

思考

画像:鎌倉材木座海岸にて

私たちは、いつも何かを考えています。ご飯食べながらでも、電車に乗っていても、お風呂に入っていても、寝る前も、考えます。

私は、毎朝歩いています。
もう忘れましたけど、8年以上になるでしょうか。
最初は、初めてSRTのセラピーを受けた時に香港のアリス先生に歩くようにアドバイスもらったので始めて、今となっては、当たり前の習慣になってしまいました。
それほど長い距離ではありませんが、毎朝30〜40分くらい、ゴミ出しで家から出てそのまま歩きに行き、日によってはランニングを入れます。
コースは毎日少しずつ変えます。
その間も、家に戻っても、とても清々しいのです。
体を動かすという、気持ち良さもありますが、これは歩いている間、ほとんど思考していないから清々しいのだとわかりました。
歩きながら何かを考えることも可能でしょうが、両足に意識持って行きながら、過ぎていく景色を観察するということで、ほぼ思考していないようです。
長年かけてウォーキングのマインドフルネス状態に近くなってきたようです。

思考している時、私たちは、今この瞬間からズレます。
思考がさらに長い時間になれば、「今ここ」から、とんでもない彼方まで行ってしまうことでしょう。

思考している時間が沢山になればなるほど、幸せ感から遠ざかっていくようです。
これは、間違いないようです。

まだ起きてもいない未来に、もう終わった過去の記憶の再生に、時間を費やすほど、幸福感は遠のいていくことがわかります。

今この瞬間に生きる。
最初は、とても困難だと感じます。

瞑想がすぐに思いつきますが、瞑想とまでいかなくても、
呼吸に意識を持っていくのも一つですよね。
呼吸しているのは誰でしょうか。私は、呼吸しているのも、心臓動かしているのも、ハイヤーセルフと思っています。だから、呼吸に集中するとハイヤーセルフと一体だと思っています。

自然の中に出かけていき、森の音や、波の音をずっと集中して聴いていると、思考も止まります。
特に山の中は、周波数が違います。風、木々の揺れる音、軋む音、葉のざわめき、鳥や動物の声、動物が動く音、昆虫が出す音、渓流の音、そのほかずっと長くいるとなんだかわけわからない音も聞こえてきます。
都会は、賑やかで刺激がありさまざまな周波数かと思われがちですが、実は、とても限られた範囲の低周波で満ちているのです。ノイズです。

私は、わざわざ山の中に出かけます。
中学生の頃からの習慣なので、私にとっては必要なことなのです。
変なやつですね。

今この瞬間に生きる。

そうは言っても、また自動的に思考が回るものです。
いつの間にか、自動的になのです。
そんな時、気づいて「おっ、思考出たな。よしよし見つけたぞ ! 」

そんなことよくやってきました。
今もやっていますよ。

そうすると、時間はかかりますが、暴れん坊の思考さんも、だんだんおとなしくなってくるようです。

昨日のお茶会でも、この話題、たくさんみんなで話しました。
とても有意義な時間でした。
ありがとうございます!

写真:横浜山手のお洒落なカフェ、えのき亭の中

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