父が旅立ちました

自由に生きる

画像:父を花に例えると今ちょうど季節のユキヤナギかな
雪国出身だし。
駒込の六義園にて

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昨日、2025年3月25日朝10時、実父が宇宙へ帰りました。

写真:六義園の美しい花「サンシュユ」

一昨年6月に救急搬送で入院し、その後医師もびっくりの驚異的な回復をして退院、そのまま介護施設で過ごすこと約一年。

最近では、施設内で怪我してまた入院、その後コロナにかかったり、回復してまた一見元気そうでしたが、

1週間前くらいから食欲がゼロになり、点滴だけで過ごしていました。

一昨日3月24日、担当医から説明があるというので話を聞きにいき、

身体の具合が悪いところは一つもない、ただ一点、年齢で衰弱してきている、とのこと。

私の中では、一昨年の入院からずっと「今、父はシナリオ通り自分の今回の人生の終止符に向かっているな」と思っていましたので、ただ嬉しく眺めていました。

父は95歳と11ヶ月です!

そして担当医の説明の翌朝、とても穏やかにスーーーっと息を引き取りました。

この数日間、私が関わっているSRTスピリチュアルレスポンスセラピーで、父のハイヤーセルフと連携して、
クリアリング含めて対話していました。
やはり最終段階なので、クリアリング項目はたった二つだけでしたが、その内容はもう「わーそうだったのね!!」と言うすごいものでした。

この時のSRTは、父の命を1日でも長く、と言う意図でやるのではありませんよ。
父の計画に障害となっているものがあればクリアする、と言う意図です。

この数日のプロセスをブログで書くのはかなりのボリュームになるのでやめますが、ものすごい流れでした。

母の時もそうでしたが、父の旅立ちも悲しみの感情は全く起きませんでした。

ただ、感謝と清々しさですね。

旅立ち(死)は、解放と祝福以外の何ものでもないですから。

死は悲しきことである、これはこの次元の固定観念の一つです。

洗脳でもあります。

写真:昨日の我が家のスイセン

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私の父は、17歳くらいで新潟から一人で上京し、夜間の大学に通いながら、ビルの地下室でお菓子(飴?)を作っていたらしい?と言う商売を始め、次に食料品(穀物類が主)のお店を経営して70歳くらいまで続けました。
経営も順調なまま、辞める時も「商売今年で辞めるよ」と言っていきなりでした。

私から見た父親は、常に商売熱心で一生懸命働いていましたが、一方で趣味人であり、いつも音楽に囲まれていた人でした。

歌ったりしないし、楽器を弾くこともしませんでしたが、クラシック愛好家で、特にバッハ他バロック音楽とモーツアルトの音楽をこよなく愛する人でした。

オーディオ・マニアでもありました。
自分でアンプやスピーカー、その他音響機器を手作りする技術を持っていました。
趣味のレベルを超えて制作したアンプをマニアの間で販売もしていたようです。

私は小学生の頃、天体に興味を持ち始め、天文ガイドという月刊雑誌を読んでいた頃、
「おい、望遠鏡買いに行こう。」
そんな父でした。
プレアデス星団や、アンドロメダ銀河M31、M31の側のM32とM110、オリオン大星雲M42や、金星、木星の模様、土星の輪など一緒に眺めました。

私が中学生の時ですが、今では信じられないことですが、「ギターは不良」みたいな言葉も残っていた時代で、父はギター雑誌を見ていた私に「お前ギター買いたいんだろ。行こう!買いに!」と、
お茶の水まで連れて行ってくれましたね。
私が中2の頃、ビートルズのコピーバンドをスタートした時、私とメンバーのギターアンプ2台、ベースアンプ1台を手作りしてしまいました。
世界で見たことない独特なデザインのギターアンプは、他のバンドからも貸し出してくれと人気でした。

商売していて、商品をお客さんに配達する時も私を一緒に車で連れて行ってくれて、
商品と一緒に、あるときは昆虫採集網、あるときは魚取りの四手網、またある時は天体望遠鏡も車に積んで、
という具合でとにかく仕事中も私と一緒に遊んでいるような父でした。

山登りもよく一緒に行きましたね。

父は、クラシック音楽の他にもJAZZも聴いていて、父のリスニングルームからは爆音でジョン・コルトレーンやソニーロリンズ、マイルス・デイビス、オーネット・コールマンやエリック・ドルフィー、チャールズ・ミンガス、MJQなどが聞こえてきました。
マイルス・デイビスでも、父が一番好きだったアルバムはビッチェス・ブリューと、イン・ア・サイレント・ウェイですよ。当時では一番の前衛を聴いていました。
70年代後半からはウェザーリポートやキース・ジャレットをよく聴いていました。ジャコ・パストリアスを好きでしたね。

この辺は、直接私の人生にも大きな影響を残しましたね。

私が前衛なJAZZのめり込んだのは、父の影響でしょう。

そんな父でしたが、商売も楽しんでやり遂げ、とても充実した今回の人生だったと思います。

活動的な人だからか大きなケガが多く、健康面、一時期は家族関係の面で、色々ハードルを乗り越え、大変な時期もありましたが。

雰囲気としては、余計なことは話さない、どちらかと言うと寡黙な方です。

一人の時間を大切にしているようでした。

私と似ていますね。

父はサラリーマン経験は全くありません。

父は昭和一桁生まれですが、そんな世代の「お父さん」ではほんと珍しいくらいに、一人の世界を楽しむ、自分の人生を自分一人で楽しんでしまう、仕事は人生を楽しむためのもの、を実践した人でした。

ここまでバーっと一気に書いてしまいましたので、文章が下手くそですが、

とにかく、ブログに父のことも書いて残しておこうと思いました。

こんな父ですが、私が公務員を辞めて無職になった時、一番心配して悲しんだ人です。

意外なものです。

父の名前はヒロシです。

ヒロシが宇宙へ旅立ちました。

ありがとう、父さん。

私に、自営業で、楽しんでいる姿を見せてくれて。

写真:六義園の椿

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私のブログ(特に旧ブログ)に説明致しておりますので、
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