津留晃一さん VOL.7(最終編)・・・起きてくること-後編

津留晃一さん

画像:今日(2023年12月3日)地元の森林公園にて

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最初にお伝えします。
このブログを立ち上げて最初の記事が、9月2日でした。
このとき、3ヶ月間は毎日記事を書こうと意図しましたのですが、今日がその日となりました。
なんと、津留さんの記事の最終編で区切りの日が迎えられて、これまた記念日となりました。

これからは、マイペースで投稿していきます。
ということで、毎日記事をアップするスケジュールから少し緩くなっていきますが、お許しください。
これからもよろしくお願いいたします。

それでは、今日の記事です。

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1997年7月、37歳の時、生まれてからの念願であった、無職で生きていくという選択を実行に移し、自然に新しいあり方の仕事らしきことが起きてくるまでの流れを書いてきましたが、今回が最終編です。
私が、なぜだかわかりませんが、額縁を作るという仕事らしき役割が起きてきて、それが、その後現在まで26年間続いているのですが、みなさん知っている言葉のいわゆる「引き寄せ」という言葉を当時知らなかったので、自分が引き寄せたという実感は全くありませんでした。
今もありません。
どちらかというと、委ねて放っておいたら、浮かび上がってきた、という方が当たっています。
自分を使わない。
これも当時の津留さんがよく言っていた言葉ですが、

「もう、自分を使わない」
「もう、自分の考えを使わない」

を意識してたようです。
そこには、量子力学的知識も、引き寄せ関連のたくさんの本も、私は必要ありませんでした。

自分の奥底に隠れている、「観念」を発見する。
手放していく。
結果に執着しない。
イメージを強烈に意図する。
恐れから逃げない。(笑って慣れてしまう)
とにかく、この地球人としての生を深刻に考えず、軽やかな気持ちで生きる。ゲームですから。

そして、全て基本に流れているのは、「今この瞬間に生きる」「毎日を気持ちよく過ごす」

だと思います。
なるべくね。

それでは、VOL.7

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津留晃一さん(その7)「起きてくること-後編」

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「起きてくること-前編」では、一年近く仕事をしない状態で、なんだか委ねたような生活を送っていたら、いくつかのシンクロニシティが起きて、額縁を作るということが起きてきたところまでを書きました。

私の経歴ですが、モノを作るという、いわゆる職人さんとは全く無縁のそれまでの人生です。
大学は一応理工系の物理方面で、工芸や芸術関係は全く正反対の世界でした。
役所時代の仕事も都市計画の技術屋です。
子供の頃からかなり多趣味な方で、いろいろ首を突っ込んでは特に何もものに出来ないという特徴はありましたが、手先は器用な方だった様です。

そんなわけで、売れる見込みもない額縁をただ作りまくっていた頃の事です。

妻は以前、都内の広告会社で、百貨店広告のグラフィックデザインをしていましたが、ある日その会社の社長が私の制作した鏡を「何これいいじゃん。」、と持って行ってしまい、仲間のインテリア関係の人がそのデザイン性がなんとかかんとかで、編集関係者を経て有名な女性雑誌に紹介され、突然注文が入りだしたのです。
全国誌に出たので本当にびっくりしました。出ただけでもうれしかったです。
関わった方も日本のインテリアや雑貨業界では知らない人は居ないというプロのバイヤーの方と、スタイリストの方でした。
確かにこの時取り上げられた制作品は、手間がかかるので現在は全く作っていない、かなり斬新なデザインのフレームのミラーです。

ともかく、私は何もしていませんが、作ったものが、勝手に一人歩きして売れだしたのです。
驚いた事に、鏡を探して歩き回った目黒のインテリアショップなんかで私の作った鏡がお店に並んだのです。
注文品を車で納品したものの、納品書や請求書なんてこれまで書いた事がないので、教えてもらう始末です。
ちょうど、わが家の全貯金がなくなって、不思議と恐れも無くなっていた頃です。

1998年5月頃の事で、そのあと格安の値段で、全国規模の展示会に出展出来るチャンスがやってきました。これも奇跡的な事なのです。
これは、妻がふと見た市の広報に、市の補助金で日本最大の展示会「東京インターナショナルギフトショー」に出れるという記事がきっかけでした。

それ以降もたくさんの度重なるシンクロニシティというしか言えない出来事でどんどん売上げが増えていきました。
展示会に出て、来た人に説明する以外には、商品の自発的な売り込みは、13年間(この文を書いた当時)一度もした事がありません。
そして、最も大きな「起きてきた事」です。
最初は鏡のフレームでしたが、妻に中の絵を描くように頼み、展示会で出したら中のイラスト絵が注目されどんどん売れだしたのです。

結果的に私の額縁は、彼女のイラストを世に出すためのお役目であった、という事でした。
妻はそれ以降フリーのイラストレーターとして活動しています。
以上がその当時の流れです。

「起きてくる事」はその時は、わかりません。あとで振り返るとあああれが、、、という感じです。
津留晃一さんも言ってましたが、「ええ?こんな方法で?」という特徴がある様です。
それまでの、自分の経歴と関係ない事が起きてきますから、とにかく、過去の経験とか得意分野を握りしめないでおくといいそうです。

あの日、家具屋さんの鏡が、オーダーでなく現品を買えていたら、また、オーダー品が普通に納品されていたら、
今のうちの仕事はひとかけらも存在しない事になります。
妻が品物を会社の社長に見せなかったら、社長が持っていかなかったら、
どれひとつ欠けても今の私の仕事は存在しないでしょう。
私が、こんな事で食べていけると思っていませんでしたから。
こんな「起きてきた事」で私の家族はとても自由なタイムスケジュールの中で、もう13年も生活しております
屋号を「クリスピー」に決めました。大好きなバンドSpitzのアルバムタイトルもそうだったので。
ぶっちゃけて言いますと、あらゆる意味でサラリーマン時代に比べてもラクなのです。とても多忙な時期もありましたが、精神的ストレスが無いです。
今は仕事時間平均4時間/日です。天気のよい平日、いきなり旅行にも行けますし。
「私は、会社やいかなる組織にも属さず、時間が100%自分で管理出来る自由な仕事をする、」と意図する、
がその通りになっているようです。
細かくなってしまいましたが、端折るとどうしてもシンクロのニュアンスが、伝わらないと思い、こんな長い文章になってしまいました。
この時点で、読んで下さった方に感謝いたします。

写真:今日(2023年12月3日)地元の森林公園にて

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