津留晃一さん VOL.1・・・古いシステムからの卒業

津留晃一さん

画像:横浜のおしゃれなパン屋さん「UNDER BLUFF COFFEE」にて
ラップの上からマジックペンでダーッと書くのはアメリカ的。

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私が、津留晃一さんと出会ったのは、1997年の夏です。
今の私に残っている印象ですが、本当にソフトで優しい、感じの良いおじさんでした。笑
4回程お会いしましたが、いつも決まって「どうしましたか?」「その後どうですか?」って聞いてくるんですよ。
私が、公務員を37歳でやめて、その後津留さんの個人セッションを受け出した頃のことを書いたものです。
以前のブログでも、結構読まれているようなので、こちらに残しておきます。
現代の、エックハルト・トールさんたちが言ってるようなこと、津留さんは当時から発信していたと思います。

写真など、今後差し替えるかもしれませんが、文章はそのまま掲載します。
以前は、前編、後編でしたが、長いので、VOL.1〜VOL.7までに編成しなおします。

それでは、VOL.1

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津留晃一さん(その1)「古いシステムからの卒業」
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津留晃一さんという方をご存知でしょうか。
2000年にお亡くなりになられていますが、今でも精神世界とか願望実現などに興味ある方だと知っている人も多いのではないでしょうか。
私は、実はこの津留晃一さんの書いたエッセイを読んで、サラリーマンを辞めたのです。
彼のエッセイを読んだのは1996から1997年の事です。15年も昔です。
当時私は、公務員として勤務していました。30代半ばです。
勤務先では昇級の路線からもはずれ、当時関わっていた一つの夢がガラガラと崩れて、ぼう然としていた頃です。その頃、妻のおなかには新しい生命がおとずれていました。
夢と希望をなくした私は、ただぼう然として過ごしていました。
そこから私の変容が起きてきました。
その夢の実現が失敗して、大きな挫折ではありましたが、不思議と安堵の中に自分がいる事に気付いたのです。
その夢の実現にもう関わらなくていいという安堵、、、、これは多くの人には理解出来ないでしょうが、そのとき私は「もともと大安心の中にいる」事が腑に落ちたのです。
私は自分の内側に向くしかありませんでした。
これは、ウツになったという事ではありません。以前よりも外側をいじくろうとしなくなったという事です。
しばらく遠ざかっていた、山に登りにいきました。
ごく自然に嗜好が変化しました。
まず、完全菜食になりました。
バブル期より徐々に増えていた体重でしたが、それ以降1ヶ月2kgくらいずつ減り、1年で、20kgマイナスして学生の頃の体重に戻りました。
体も心も軽快になりました。この作業が楽しくて、ダイエットなどと考えた事はありませんでした。
わが家に赤ちゃんが生まれ、職場以外の時間はほとんど、家族との時間に使いました。
そのころ出会ったのが津留晃一さんのエッセイです。
アネモネという雑誌で6回の連載でした。毎回、楽しみで仕方がありませんでした。
アネモネはいまは大きな書店でも見かけますが、当時は青山のナチュラルハウスという自然食品店でしか買えず、しかも隔月刊でした。
いまでも「一般の」人にはあやしい雑誌として扱われているでしょうが、私は心と体にとてもやさしい雑誌だと思っています。
その津留さんのエッセイを読んで、まあとにかくすごいインパクトで、びっくりで、うれしくなって、何度読んだ事か。
それまで、経験した事の無い新しい風が吹き込んできたのを覚えています。
魂が、もう嬉しくなってしまったのです。
新鮮な躍動感とも言えるし、新たな希望がわき上がってくるが、そもそも前向きな文章ではない。
本来知っていた事を思い出したようでもある。
「ああ、そうだったよな」、というような、本当に私のために書いてくれた様な文章でした。
その後私は、できるかぎり役所の勤務をしっかりとこなし、ベテランがやらないような雑務もなるべく引き受け、退職の準備に取りかかりました。
津留晃一さんのエッセイに出会って私の選択は、退職して今まで積み重ねたシステムから外れる、という事に決定したのです。
中学から高校受験、勉強して大学受験、また勉強して就職、そして組織の中で上へ上がっていく、というシステムからポンと外へ外れる、という事です。
次の仕事を考えずにです。
退職するための方法でなく、退職そのものを選択しました。
いわゆる脱サラで独立、ということではありません。
エッセイを読んで、他に選択肢が無いのです。
一本道です。
当時私には、前年に家を建てて、住宅ローンがありました。
そんな状況でも不思議なのですが、不安よりも、わくわくしてました。
「この宇宙の法則を証明する」、くらいのテンションでした。
その後1年くらいしっかりと?職場での仕事をたんたんとこなし、有給休暇を貯めていきました。
そして、休暇を取り家族でHawaiiへ。
Northのコテージと、ワイキキの[Breakers]というホテルに滞在して、思い切りくつろぎました。
この時も津留さんのエッセイのコピーを持っていました。
ラナイでビール飲みながら読んでいたのを覚えています。
2週間の滞在から帰国後、少しして仕事の区切りがついた瞬間が訪れました。
いくら公務員でも、有給休暇を一発で使い切ってしまい、もうすでに職場ではあやしげな雰囲気が漂っていました。
私は、あらかじめ人事課からもらっていた「退職願」という用紙に必要事項を書き上司に出しました。
とても簡単な書類でした。
人事の担当者は、相当ビックリしていた様です。
何せほぼ100%の人が定年まで辞めない職場でしたから。
退職理由は「一身上の都合による。」という定番。
2~3分で書けるような書類で、拍子抜けしたのを覚えています。14年4か月も勤めたのに、これ?
1997年7月の事でした。
その後です。津留さんにお会いしたのは。

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写真:金峰山からの南アルプス
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