津留晃一さん VOL.3・・・お金に対する恐れ

津留晃一さん

画像:横浜のとある竹林

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VOL.2は「今この瞬間に生きる」。
この言葉が、究極なのだと思います。
私が、古いシステムから卒業したときにまずやることは、何か新しい人生の計画を立てることではなく、「今この瞬間に生きる」です。
そのために、いろいろな方法を勉強することよりも、お金もかからず、特別な技術もいらない、自己観察ということでした。
自己観察はすなわち、今に生きていることでもあります。

それでは、VOL.3

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津留晃一さん(その3)「お金に対する恐れ」

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私は、組織に居るのが大の苦手でした。こればかりが、ストレスでした。
ただ単に組織というモノがダメでした。
特に私が勤務していた役所なる組織は、大嫌いでした。
役人と言いながら、あまりにも人の役に立っていないお仕事がとても多いのです。
役所に勤めて、あ、ここはずっと居られないな、とその日に思ったのですから。
それでも、「長男だし。」とか「親に心配かけちゃ、、」とか、何かいろんな何100通りもの言い訳を自分で編み出して、何と14年も勤めたのです。
役所を辞めて、私は自由になりました。
自由になったのですが、収入がゼロになりました。当たり前です。
役所に行けば、トップが決めた予算に沿った仕事があり、仕事をこなせば毎月当然お給料がもらえます。
私は、役所でも図面に向かっている業務がほとんどの技術職でした。学校で学んだ専門をある程度は生かし、何の不自由も無い仕事内容でした。
ストレスを除いて。
要は、行けば給料がもらえるわけです。
二日酔いでもちょっと体調悪くても、とにかく這ってでも行けばお金がもらえるのです。
全てではありませんが別に公務員でなくとも、民間会社でも同じ事です。
そして退職によって収入がなくなったのです。
毎朝、起きると収入がゼロです。当たり前です。
この感じ、どう表現すればいいかというと、何でしょう、太平洋の真ん中にひとりポンと置かれたような感じでしょうか。
限りなく自由なのですが、どちらを向いたらいいかわからない状態です。
目標物が無い状態ですから。
月末には住宅ローンの支払いがあります。
毎日の生活費もあります。
でも津留さんの個人セッションでも理屈はわかっていました。
津留さんとは5回程会う機会がありました。
当時津留さんは、グループセッションや講演会でなく、個人セッションを主にやっておられました。
浄化の手法を教えてもらったり、一緒に浄化も実践でやっていただいたりしたので、私にはそれを使うしか方法が無かったです。
とにかく今この瞬間に集中する。
言葉では聞いていたが、「本気で」、です。
恐れが当然出てきます。内側に問いかけます。「この恐れの源は何ですか?」「何ですか。」「何ですか。」「何ですか。」
これも真剣にです。津留さんは、ここが大切と言っていました。
ただ問いかけるのでなく、「真剣に」です。
意識を集中するという事です。
ポイントはただただ本気で問いかける事で、問いかける作業そのものが強力なエネルギー浄化です。
答えは要りません。
むしろ出ない方がいいでしょう、とも言ってました。
この問いかけと、自己観察だけです。
そんな毎日です。
当時、娘が1才半でしたので、毎日公園に遊びにいきました。
津留さんは、「今あなたがやる事は、それです。子供にぴったりと意識を合わせて下さい。子供は先生です。今この瞬間に居続ける子供に意識を会わせれば、今に生き続けられます。」
平日の公園は、もちろんお父さんがいるわけないので、かなり不思議がられましたが、だんだんとママさんグループとも仲良くなっていきました。
ただただ恐れがありました。
こんな事やっていていいのか、という恐れ。
とにかく役所を30代半ばで自分の勝手な都合で辞めたのですから、退職金なんてたいした額ではありませんでした。
理由が理由だけに失業手当の対象になるわけがありません。
貯蓄があと数ヶ月で、なくなるのは、簡単に暗算で計算出来たのです。
こんな思考の時は、「今」に生きていないのです。
意識が、「今」でなく「月末」や「あと数ヶ月後」に飛んでいるのです。
これに気付くのです。
気付いても、数秒でまたブレます。
ブレまくります。
思考が働く時は決まって、その根っこは100%「恐れ」です。
津留さんに教わった事の一つ、「思考は、糞の役にも立たない。」「思考には、物事を実現する力は、ひとつもない。」
これは、ショックでした。「ひとつもない。」ですよ。
これまで、考えて行動して何かを実現して来たと何となく信じていましたから。
「思考には、何の力も無い。実現しているのは、”大いなる私”である。思考は、方向付けだけに使って下さい。」
毎日、家族3人でおいしいパン屋さん巡りとか。小さな旅に出かけたり、子供を通じて知り合った同じような感性の友達たちと過ごしたり、こんな生活が出来る事に一種感謝がわいて来ていました。
今思うと、聖なる日々です。
そんな自己観察の日々を過ごしていました。
貯金がなくなった頃になにか起きてくるだろう、と。
まあ元々貯金など当てにしてはいなかった。いずれなくなるし、あるから恐れがあるのだ。
ところが、これは本当だった。
その後、貯金が無くなったとき、同時に「恐れ」も消えてなくなった。

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